私が受けた国策事件(児童養護施設と小学校)

私が受けた国策事件

裕大郎のその後

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6歳児のその後の地獄 児童擁護施設職員と小学校職員たち

裕大郎を探して

 でっちあげ裁判によって強引に連れ去られた裕大郎。経緯はどうあれ実の母親のもとに戻ったのだからそれでいいのではないか、そう思われるかもしれない。誤解のないように言っておくが、私たちも裕大郎はかわいいが、何も取り上げるつもりなどはじめからないのである。ただ、裕大郎が幸せにすくすくと育ってくれさえすればそれ以上は何も望まなかったのだ。
 しかし、これまでの経緯から母親が普通でないことを私たちは分かっていた。裕大郎自身は私たち以上にそのことにすでに気づいていた。気がかりのやまない私と母は裕大郎がいるはずの住所地に足を運ぶことにしたのである。

 ところが裕大郎がいるはずのその地では引越し業者が引越しの入居作業をしているところだった。どうやら裕大郎たちは裁判の後どこかに引っ越してしまったようである。
 4月から小学校に入学だというのにどこに行ってしまったのだろうか。私はその後も思い当たる場所を探し続けた。そしてふと直感的にひらめいたのである。

相続事件のもう一つの目的

「おばちゃん、私が面倒みててあげる。私、本当は男の子がほしかったんだよね」。
 裕大郎の世話に疲れていた病気の母が、極悪相続人の一人である光部道子の実娘小貫香江に育児放棄をする母親に困っていることを話した際に返ってきた言葉である。
 当時、小貫は沖縄の宮古島に住んでいたが、豊橋に帰省した際にはウチにもよく寄って、少し異常なくらい裕大郎に関心を寄せて接していた。
 裕大郎を探し続けていた私は直感した。「裕大郎を小貫にやるつもりだな」。

 会社の片腕といえる部下に会社資産を譲渡してその後に部下を破産させて喜んでいる小貫たちならば、相続事件において破産、殺害するだけではものたりず、私たちがもっとも大事にしていた裕大郎まで奪い取るつもりがあっただろうことは容易に推測することができた。私たちは我が家から数百メートル先にある光部宅をマークすることにしたのである。


 そして、その後も調査を続けた私たちはいくつかの有力情報を得ることができたのである。
1 光部宅近くから通学する写真を見た小学生が裕大郎によく似ているが名前が違う子を知っているという。栄小学校1年2組で名前が「ヒサノリ」だという。
2 児童擁護施設若草育成園に2月と3月だけ入園していた裕大郎らしき子がいたという。
3 裕太郎の母親が5月ころ結婚式をあげ、すでに女の子がいるという。

 いずれも未確定情報であるが、私にはこれらの情報が理由のあるものに思えた。推測論になってしまうかもしれないが、
 裕大郎の母親は違法住宅ローンで得たマンション一部屋に結婚、そして離婚歴の抹消と引き換えに、裕大郎をほしがっていた光部、小貫らがもくろんだ相続事件に協力をした。初婚を貫くには裕大郎を生んでないことにしなければならない。そのために判決後には市役所の事業委託先である児童養護施設に裕大郎の名前を変えて孤児として預け、小学校入学の4月に「ヒサノリ」として光部に渡したのである。(小貫は東京在住だが、このころは私も母も存命していたので東京の小貫に渡してしまうことはできなかったのだろう)。「ヒサノリ」という名前もいかにもである。離婚した前夫の名である「ノリヒサ」のさかさまであるのだから、前夫に執着していた裕大郎の母親なら十分つけうる名前だったからである。DSC01763.jpgVサインをしている子の横にいるのが裕大郎。服装をみると小貫の娘のお下がりであるようにみうけられる(石巻小HPより)


 同じ頃、私は裕大郎の母親が住んでいると思われる石巻町の新居の存在を知った。こちらの動きを警戒してか裕大郎も一時この石巻に戻され、石巻小学校に通うことになったのである。
 しかし、2ヶ月もすると裕大郎が石巻小学校には来ていないという情報を得た。そして今度は石巻から20キロ近くも離れた県委託の児童養護施設豊橋平安寮に裕大郎がいることに気づいたのである。

偽善 児童養護施設職員の正体

 覚悟して相続事件に共謀した母親ならば、新しい家族とともに今さら裕大郎を育てるはずはない。石巻小学校に行っていない裕大郎を知って、私は児童養護施設の若草育成園と豊橋平安寮に裕大郎のことをメールで尋ねた。
 だが、どちらからも一向に何の返事もない。仕方がないので平安寮まで車で行って様子を伺うと、窓口のおばちゃんが眼をとばしてこちらを見ている。子供に裕大郎の写真を見せて尋ねれば、いかにも口止めされているかのようにあわてて写真を返す。裕大郎は今度はここにいるな、と私は思った。


 豊橋平安寮。施設も古く、決して余裕がある生活をしているようには見えない児童擁護施設である。
 この平安寮についてある記事をみつけた。古くなった施設の改築費用があと6千万足りず、この不足分を豊橋市に援助を求めているというものだった。私は思った。まさか今回の事件に関係して裕大郎を担保に犯罪協力しているんじゃないだろうな、と。
 それでも狂った母親のもとにいるより裕大郎には安全かもしれないと思い、こちらもしばらくは静観姿勢でいたのである。

 ところが久しぶりに平安寮を伺いに行くと様子がちがう。いつもの眼をとばすおばちゃんがこちらに気づくや否や、姿を見られたくないといわんばかりにスッと急いで机の下に身を隠すのだ。あちらでは小学校5、6年生の男子がかたまってヒソヒソといかにも悪いことをしていますよというような感じで話をしている。Uターンして改めて伺うと入り口付近で4、5人の職員がこちらを気にしながら緊迫した雰囲気で話しをしている。
 この頃は極悪相続人光部宅でも同じようなことがあった。夜に買い物ついでに宅前を通ると、あわてて家の明かりを消すのだ。裕大郎が平安寮を起点に極悪相続人の光部や新井の家をたらいまわしにされていることには気づいていたが、何か裕大郎に対してよくないことをしているのではないか。私は不安感を抱かざるをえなかった。

 これは後になって分かったことだが、私が起こした国家賠償請求事件で裕大郎に都合よく証言させて私の冤罪をでっちあげるために、平安寮職員や光部、新井らが薬を使って裕大郎を監禁、洗脳していたのである。
 施設ならば安心と考えていた私は愚かだった。伯父や祖母をさしおいて子供を預かる施設職員など犯罪者であることは明らか。貧しさとは裏腹に、こいつらには子供たちへの慈悲とか哀れみなどは存在しない。子供たちを自分たちの飯の種にしているだけであって、役所に都合のいい子供を育て上げて勲章までもらっているにすぎないのだ。
 私はこの時、役人たちと何ら変わらない施設職員たちの正体をはじめて知ったのである。

一年ぶりの再会

 今までとはちがう周囲の状況に不安を覚えた私は裕大郎の母親とともに住んでいるはずの父に宛てて手紙を出した。
 「裕大郎を他人に預けるな。今度他人に預けるようなことをしたら犯罪についてチラシをまくぞ。裕大郎を無事連れて家に戻ってくるように」と。
 「チラシをまくぞ」というのがよほどきいたのか翌日には買い物時に検事らしき女に後をつけられた。そして今まで電話をしてもつながらなかった裕大郎の母親とも連絡がつき、新年早々裕大郎と一年ぶりに会えることになったのである。

 その日は私は裕大郎とは接触しないという母親からの要望で、二階の自分の部屋から窓越しに裕大郎がやってくるのを待っていた。そして裕大郎がついにやってきたのである。

 車から降りた裕大郎をみて目が潤んだ。身長はだいぶ伸びている。裕大郎もうれしそうに言葉を発しながらやってくる。しかし、私は一瞬で裕大郎が本来の裕大郎でないことに気がついた。
 裕大郎の声がおかしい。まるで3歳ぐらいに逆戻りしたようにすごく高い声なのだ。様子もどこかハイテンションで幼児のわりにはどっしりおちついて思慮深かった以前とはまるで別人である。また、顔色は悪くなかったが、首から胸元にかけての皮膚が老人のようにしわしわになっていて体も痩せている。目があってもさほどこちらには関心がない、いや、関心はあるのだが反応がないといったほうが適切なのかもしれない。

 私は裕大郎が何らかの薬を飲まされていることにすぐに気がついた。そしてその後母から伝え聞いたほかの症状をあわせて考えてみて、何の薬を飲まされているかを判断するにはそう時間はかからなかったのである。

洗脳

 ①チョコレートなど植物油脂系のおかしが体にあわないといって控えさせてている②コーラもだめ、水分も制限している③異常に光をまぶしがる④呼吸がゼエゼエしていてまるで喘息もちである⑤虫歯だといって前歯の永久歯2本が抜かれ、奥歯も2、3本が銀冠処置するなど治療の痕がある。というのが母から伝え聞いた裕大郎の症状である。
 先に判断した症状とあわせ、裕大郎がテオドールを飲まされていることを私は確信した。

 「テオドール」。喘息患者が使用する薬である。患者が普通に使用するにはさほど副作用の心配のいらない薬でもある。
 だが、薬というのは病人が使ってこそ薬。病人でもない人間が使用すれば副作用が顕著に出るただの毒にすぎないものである。

 テオドールの代表的な副作用。
   中枢神経系に対する作用として
    ・ 神経過敏、不眠、不安、知覚過敏 吐気、食欲不振
    ・ 呼吸中枢刺激作用
   心血管系作用
    ・ 頻脈または心拍数増加
    ・ 不整脈(心室性期外収縮または心房細動) などがある。


 裕大郎の症状はまさしくテオドールの副作用によるものだった。チョコや水分を制限しているのもそれ以上の中枢神経刺激作用を回避するためであり、歯を治療したのも虫歯などではなく、過剰な薬物の投与により白血球が減少し歯がボロボロになってしまったからだと私は思った。(麻薬を塗ったかもしれない)
 もともとチョコやコーラは大好きで、歯磨きだってしっかりして虫歯のなかった健康体の裕大郎がこれほどまでの症状を負ってしまったのは、単なる母親による虐待ではなく、事件犯罪者たちによる犯罪隠蔽のための「洗脳」目的だったことはおかしな国家賠償事件の経緯より私には明らかだった。
 逃げるに逃げられない被告である国が助かるには、薬付けにした裕大郎から都合のよい証言をさせ、私に冤罪をでっちあげるしか方法がなかったのである(「でたらめ国家賠償請求事件」の裁判記録参照)。裕大郎の口から私への非難の言葉をいわせれば、卑劣な裁判官たちにしてみれば、さらにしてやったりというところだったのだろう。
IMG_0454.JPGいっしょに暮らしていた頃の裕大郎IMG_0458.JPGいっしょに暮らしていた頃の裕大郎IMG_0822.JPG再開時の裕大郎。薬づけにより、ボーっとした感じだった。IMG_0829.JPG1年で身長が10センチ伸びているにもかかわらず、体重は200gしかふえていないという。逆に2kg減っていたときもあったという。IMG_1653.JPG小麦色の肌は決して日に焼けたものではなく、心不全の影響によるものであると思われる。どことなく寂しそうなのも薬物の投与によるものだろう。

殺意

 その後も1週間に1度ほどの割合で裕大郎はやってきた。裕大郎の母親にテオドールについて指摘して以降は、裕大郎にそれを飲ませずに、あるいは飲ませても少量の状態で連れてきているようだった。薬を飲んでないときは顔色も悪く、疲れているのは明らかだったが、薬の興奮作用でムチをうっても体を害するだけなのでまだましであると、ウチへ来たときはゆっくりさせてやろうと思っていた。テオドールの指摘がきいたのか体重に関しては少し戻った感じで、このまま何とか体を元に戻してやりたい、そう思っていた。

 2回目の訪問からは私も裕大郎とわずかだが接触できるようになり、これまでどのように過ごしてきたかを聞くチャンスもあった。しかしそれはとてもできなかった。帰ったあと、母親から何を話したかを強く問い詰められるのは分かっていたので、裕大郎自身を苦しめるようになることはできなかったからである。実際、裕大郎は両手首に何かで強く縛られた痕があったのである。


 このころの私には一つ疑問があった。私たちにこれまでの真相を話させまいと裕大郎の意思を囲い込むには裕大郎の受けている副作用があまりに強いものであったことである。私が見る限りではかなりの長期間薬を飲まされ続け、意識障害なども何度も起こしているはず。顔色ひとつだけとっても普通ではなく、体も心底から疲れきっている。これを薬によってごまかしているのだが、飲ます量も脳症が発生する一歩手前ぐらいの症状になるほどまでに飲ましているのだ。それでも母親は裕大郎を棄てたことを隠蔽するためにか拳法、水泳、ボーイスカウトなど習い事に精を出して疲れきっている裕大郎に休む暇を与えないのである。


 3月29日になって私はその真意に気づいた。
 その日は裕大郎が我が家に泊まることになった日である。不思議なことに母親は家に帰るという。

 母親が帰って私はなんとなく裕大郎の心臓音を聞いてみた。

 「バク、バク、バク、・・・、バク、バク、バク、・・・、」。3つ打ったら4つ目がない、これを繰り返しているのだ。

 「トントントントン・・・」と、昔聞いたいかにも生命力あふれる元気でかわいい心音とはちがっていた。明らかに危険な不整脈だったのである。

 この日の裕大郎は非情に疲れていて我が家に到着するやしばらく睡眠をとっている。以前は大の字になって寝る子が横向きになって寝ていたのはやはり心臓からくる肺うっ血の影響だったのだろうか。テオドールの過剰投与による一過性のものにすぎないことを祈るばかりだが、諸々の事情からすると、最悪の場合は心臓弁に影響が出てしまっている可能性も否定できないのである。


 私はその日、異様にすっきりしたまま家に戻った母親を疑っている。
 その晩、我が家で心停止したことを我々の責任にし、3月7日に行われた薬づけの裕大郎の証言を4月11日の判決に反映させて、裕大郎なきまま私の冤罪をでっちあげて事件を収集しようとしていたのではないかと。(3月7日の裁判については冤罪でっちあげの恐れがあったので私は出廷していない。証人尋問があったかどうかも不明である)

 もはや母親も裁判官も犯罪者たちはみな狂っている。私はふっきれた。翌日には事件について書いたLinkIconチラシを街頭で配り続けたのである。

人間のクズ



― 準備中 ―



裕大郎に毒を投与した犯罪者たち

 裕大郎を薬づけにしたもっとも許せない実行犯たちを列挙する。

    <何度殺しても殺したりない3人>
      光部孝義(極悪相続人光部道子の夫)
      新井一洋(極悪相続人)
      小田嶋美奈(極悪相続人新井の娘)


       新井アキコ(極悪相続人新井の妻)
       光部道子(極悪相続人)と近隣住人たち
       井上五郎(裕大郎の祖父で医師)とその愛人(看護婦)
       裕大郎の母親の再婚相手
       児童擁護施設平安寮職員

                   そのほか教育関係者らを順次追加予定




< お願い >

 このページにある問題に関しましては相続事件やでっちあげ裁判にあるような確定的な客観的証拠というものがなく、どうしても推測論の域を出ないものと思われてしまう部分があります。
 そこで広く情報を求めたいと思いますのでどうぞご協力のほどお願いいたします。

 特にいただきたい情報は

・ 裕大郎が長い期間(半年間ほど)石巻小学校に登校していなかったという情報
・ 裕大郎が石巻小以外の学校にいたという情報(大崎小、栄小、つつじヶ丘小、岩西小など。名前は変えられています)
・ その他、山田裕大郎について何でも

LinkIconmail@dangai-toyohashi.infoまで

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